2/8覇王殿下のお気に入りの新刊になる予定。
間に合うかは怪しい。ここに全文掲載予定。適当設定。ちびちび更新改稿します。
※WEB最新話までのネタバレ含みます。捏造設定多数。
一、 四十年
「四十年か」
天蓋から垂れ下がる薄絹の向こう、寝台の上でクッションを背に身を起こしている先王ヒュベルトゥスの姿がうっすらと見えた。
「昨日のことのように覚えているぞ、ツェアフェルト将爵。其方が私の前に初めて現れたあの日を」
「できれば忘れていただきたいところですが」
「この年まで忘れずにいたのだぞ? 死んでも忘れぬだろう」
薄絹の向こうでヒュベルトゥスがふっと笑う気配がした。
死という言葉にヴェルナーは身じろいだ。
四十年という年月が流れても、低く張りのある声の、力強さは些かも失われていないように感じられる。
――それでも
この方はここからいなくなってしまう。
「ヴェルナー」
密やかに名を呼ばれ、寝台横に置かれた椅子から立ち上がる。
遠巻きにこちらを見ていた国王ルーウェンと目が合うと、小さく頷かれた。
父であるヒュベルトゥスよりは線が細いが、思慮深さと意志の強さが表れた良い目をした王になった、とヴェルナーは思う
国王ルーウェンの横には王太子と次男のコルトレツィス大公、末子の王女と王太子の子である王太孫。
後顧の憂いはない、か。
いや、国政に憂いなどいくらでも湧いてくる。
それでも、もはや年寄りたちの出番など必要ないだろう。
ヴェルナーは薄絹ぎりぎりまで身を寄せる。
「ここに」
「約束を、覚えているな?」
「……はい」
「なに、急がずともよい。こちらでやるべきことをやってから、ゆっくりくるがいい。気長に待っている」
「陛下」
「だが、必ず私の元に来い。来ねば、探しに行くからな」
ヴェルナーの喉がぐっと詰まる。
この年になるまでに、何人もの人を見送ってきた。
戦いの中で失われた人も、穏やかに旅立った人も。長生きした者も、若くして亡くなった者も。
置いて行かれるばかりの年になり寂寥はもちろんあるが、誰が亡くなっても、意外と世界にも自分の生活にもこれといった変化はないものだ。
だが、間もなく旅立とうとしているヒュベルトゥスを前に、ヴェルナーは今までになく胸の詰まる想いがした。
才気と覇気に溢れた美しく強い王に重用され、国の中枢でそれなりの働きをし、将爵も賜った。
ヒュベルトゥスの意向をできるだけ現実にしてきたし、ヴェルナーの考えを良く取り入れて頂いた。
それでも、応えることができないことはあった。
人目のない時に、気の置けない者たちだけの時に衒いなく寄せられるヒュベルトゥスの想いに、ヴェルナーは応えることはできなかった。
「待っていて、くださるなら」
掠れた声でどうにか言葉を返したヴェルナーに、薄絹の向こうのヒュベルトゥスがまた笑った。
「……行くがよい」
「は…」
ゆっくりと深く礼をして、ヴェルナーはヒュベルトゥスの寝室から去った。
翌日、夜明けの光が差し始めたころ、王都中に鐘の音が鳴り響いた。
弔いの、鐘の音が。
二、 四五年
ツェアフェルトの領都ツェアブルクはなだらかな丘陵地帯とそのふもとに広がる盆地の中にあり、街を取り囲むように石積みの葡萄畑が段々に広がる土地だ。
内陸性の気候は朝晩の寒暖差が大きく、葡萄の栽培には適しているが、初夏になろうという時期でも夜明けの今時分はかなり冷える。
ヴェルナーはぶるりと身を震わせ、項を撫でる。
人生の大半を共にしていた長い後ろ髪は、半年前に妻のリリーが没したときに切り落とした。
「すまない、リリー。俺はここで一緒に眠ることができるか、分からないからなあ」
光りの向こう側に向かった妻にそう詫びて、ヴェルナーは黒く艶やかな長い髪を、妻の棺に入れた。
それから半年後の今日、ヴェルナーは妻と両親、兄の墓に旅立ちの挨拶にきた。
ツェアフェルト邸は丘陵の麓より少し登ったところ、領都を一望できる場所にあり、そのさらに裏手を登ったところにある小さな森の中にツェアフェルト家の代々の墓地がある。
「それじゃあ、行ってくるよ」
妻の墓に花を手向け、そう声をかけると、ヴェルナーは年に合わず機敏な動きで立ち上がる。
墓地に背を向け歩き出すと、樹々の間からツェアフェルト邸、その下に広がる領都と葡萄畑が見えた。
夜明けを告げる鐘の音が朝靄に包まれる領都に響く。
炊飯の煙が一つまた一つと立ち昇り始めるのをヴェルナーは眺めていた。
「頑張ったよなあ、俺」
ツェアフェルト領はヴァイン王国の中でも有数の豊かさを誇る領地となった。
魔王討伐後、この世界は緩やかに変わっていった。
強力な魔物は減っていったが、地震や自然災害が発生するようになり、気候が変わった地域もある。
ヴェルナーは国政に携わる身としてそれらの対策にも関わったが領政にも手を抜かず、領地での治水、開拓、新たな産業や作物の栽培、教育、雇用、様々な分野に力を注いだ。
自分の力など微々たるもので、才知ある人の力を借り、現場で身体を張って頑張った人々のおかげであることはわかっている。それでもまあ、ちょっといい方向にもっていくことはできたんじゃないかなとヴェルナーは思っている。
「凡人にしては、頑張った」
もう一度呟いて満足気に領都を見渡す。
その時、左の手首にほのかに熱を感じた。
腕時計を見るような仕草で左手を軽く上げて見ると、シンプルな銀のオープンバングルに嵌められた四つの小さな宝玉のひとつが光っていた。
その光を見てヴェルナーは大きく息をつく。
――やるべきことをすべて終えたら…世界を気ままに旅して見て回りたいですね。
そうヴェルナーがぽつりと零したのは四十年近くも前のことだ。
まさかこうして本当にこの年になって旅に出ることになるとは。
先王ヒュベルトゥスの崩御後、宮廷が落ち着いたころを見計らってヴェルナーは宰相を辞し、ツェアブルクでリリーと領政に携わりながらものんびりと半隠居の身を楽しんだのは五年ほど。
そしてリリーの葬儀を終えた直後に、将爵の位を長男に譲り政治からは完全に身を引いた。
ヴェルナーが旅に出ることを知っているのは、家族と、マゼル、ラウラ、ルーウェン王と一部の王族のみ。
対外的には完全に隠居して領地に引きこもるただの爺だ。
ツェアフェルト邸に居る長男とは昨夜のうちに旅立ちの挨拶を交わした。
見送りは不要だと言っておいたが、夜明け前にツェアフェルト邸を一人で密やかに出てゆくヴェルナーは背中に視線を感じた。
館の窓から息子が見送っていたのだろう。きっと昨夜と同じように眉間に皺を刻んで、心配と気遣いの入り混じった複雑な顔をして。
周りには長男はヴェルナーによく似ている、と言われていたが、ヴェルナーからすると自分より父のインゴに似ているように思えた。憮然としたときの表情と眉間の皺がそっくりだった。
そうヴェルナーが言うとリリーは「ヴェルナー様も、お義父様によく似ていますからね」と笑ったものだった。
リリーによく似た次男と長女も闊達に才能豊かに育ってくれた。それぞれに望んだ人生を歩み、家庭を持ち、孫を見せてくれた。
「まあ、また会えるさ…。生きてさえいれば」
長い旅になる。だが帰ってこないつもりではない。
ヴェルナーはもう一度、夜明けの光に照らされ始めたツェアブルクを見下ろして頷く。
「コルトスへ」
一瞬宙に浮いたような奇妙な感覚がしてヴェルナーは目を瞑りそうになる。周囲を警戒しなくてはと慌てて顔を上げた時には、コルトスの街の門が遠くに見える小さな雑木林の外れに居り、目の前には意外な人物が立っていた。
夜明けの薄暗い中でも目立つ金の髪。白皙の肌に蒼氷の瞳。
堂々たる美丈夫が微笑んでいた。
その後ろには二台の馬車と馬車脇に控える冒険者と思しき風体の者が二名。更に遠巻きに離れて数名の護衛騎士と馬。
「……大公殿下?」
「ようこそ、コルトスへ」
「なぜここに?」
「ヴェルナー卿がここまで来ておきながら、私の館にも寄らずに旅立つと聞いたもので」
コルトレツィス大公が笑みを深めて答える。
その顔を見てヴェルナーは思わずため息をついた。
ルーウェン王の次男、コルトレツィス大公は三二歳。父のルーウェンより祖父であるヒュベルトゥス先王によく似ていた。
文武両道、容姿も気性も先王に似ているとあって、先王の生前にはルーウェンの後王位を継ぐのは第一王子より第二王子のほうがふさわしいのではないか、との声が多かった。
第一王子はルーウェンによく似た容姿と思慮深さ、ローゼマリー王妃の溌溂さを併せ持ち、才も豊かで慕われていたが、貴族たちの間では政戦両略に才知をふるい、覇気の王と言われたほどのヒュベルトゥスに心酔していた者が多かったのだ。
当の第二王子は自分を担ぎ上げようとする者たちを煩わしく思い、学園を卒業後すぐにコルトレツィス大公の位を継いでさっさと領地に引きこもってしまった。
第二王子には文武以上に、芸術の才があり煩わしい政治にかかわることを好まず、宮廷内の駆け引きよりも絵画に向きあう時間のほうがよほど有意義だと思っていたのだ。
王族として、コルトレツィス領を治める大公として、文武の才も惜しむことはなく領政を努めてはいるが、国の政治にはあまり関わらないようにしていた。
しかし、コルトレツィスは特別な領地だ。
ヴァイン王国の南東端に位置する大領地でファルリッツとデリッツダムとの国境に面し、海岸もある。
魔王が滅んだ後、強大な魔物は緩やかに数を減らしていき、海路での交易が増え、海路と王都をつなぐコルトレツィスの重要性は増した。
そしてなにより、ヒュベルトゥスが王太子時代に「コルトレツィスから王が出る」という偽の予言を逆手にとり、コルトレツィス大公となり、コルトレツィス侯爵家を排し、叩き潰し、その後予言通り王となった。
そのような領地に、王となることを期待されているヒュベルトゥスによく似た若き大公が入ったのだ。ヒュベルトゥスから大公位を継いで。
それこそ王となる大望を抱いてのことではないか、ヒュベルトゥスは第二王子にこそ王位を継いでほしいと思っているのではないかと、一部の大公派の貴族は盛り上がり、コルトレツィスに出入りして大公を唆し懐柔しようとした。
コルトレツィス大公はそれらの者を放置し、その情報をヴェルナーに流した。
大公は何もせず、対応に追われたのは宰相だったヴェルナーだ。
誘蛾灯のように不穏分子を集めるだけ集めておいてそれはないだろうと思いつつ、ヴェルナーもその機会を利用してルーウェン王と王太子に不満を持つ一派の弱体化を図った。
「大公は父上以上にヴェルナー卿をうまく使っているな」とルーウェンを苦笑させ、ヴェルナーの睡眠時間を奪い、その間にコルトレツィス大公は領内を把握し、領政に取り組み、悠々と筆を動かす生活に落ち着いた。
「私もヴェルナー卿と共に旅をする」
「……は?」
「ヴェルナー卿をわずかな供だけで国外に旅立たせるなど、リリー先生も心配するだろう。私も共に行く」
幼いころから絵画に親しんでいたコルトレツィス大公は、リリーを師と仰いで教えを受けていた。ツェアフェルト邸にも出入りして、ヴェルナーに対しても気安い。
二か月前には王都からコルトレツィスへの帰路の途中にツェアブルクに寄ってリリーの墓参りをしてくれたのだった。
リリーの墓参りだけが目的ではなかったが。
ヴェルナーは手のかかる子を見るような目で大公を見て口を開く。
「殿下にはここで果たすべき責務がありますよ」
「責務か…。誰よりもそれを果たしたそなたに言われると逆らい難い」
コルトレツィス大公がヴェルナーの手を取る。
「また、会えるな? ヴェルナー卿」
金の髪がさらりと揺れ、蒼氷の瞳が朝日を弾く。
「その時はまた、素のあなたを見せて欲しい」
ヴェルナーは言葉に詰まる。
この顔と瞳で迫られると否やを言いづらいのだ。
それを知っていてコルトレツィス大公は愉快そうな笑みを浮かべた顔をさらにヴェルナーに近づける。
「大公、そこまでだ」
二台ある馬車の一台からくぐもった低い声がして、ヴェルナーの心臓が跳ねた。
よく知った、だが久しく聞いていない声、のような気がした。
ヴェルナーがそちらに視線を向けると、馬車脇に控えていた二人が近づいてくる。
小柄で細身な少女、年のころは十八よりは下か。短剣を腰の左右に差し、おそらくは冒険者、斥候ではないかと思われる身なりと身のこなし。艶のある赤髪と幼さが残るが色気のある美女になりそうな美貌だ。
その後ろにいるのは背の高い一見細身だがしっかりと筋肉の付いた二十半ばくらいの大剣を帯びた青年。こちらは身なりは冒険者だが、元は騎士だったのではないだろうか。
コルトレツィス大公は渋々といった体でヴェルナーから手を離し、声がした馬車をちらりと見て肩を竦めた。
「ヴェルナー卿、この二人が旅の間の護衛だ。……もっと護衛はつけていただきたいところだが、身軽な旅が望みだと聞いたので」
ヴェルナーは会釈する二人を見て妙な既視感を覚えた。知りあいの誰かに似ているのだろうか。
「離宮まではコルトレツィスの騎士も護衛につきます」
「離宮?」
コルトレツィス大公の離宮のことだろうか。海が見える高台にある小さな離宮で、王族や大公の身内のみが利用する極私的な離宮だ。ヴェルナーも一度だけ滞在したことがある。
「詳しくは馬車の中にいる者に…。私はこれで失礼する」
そう告げるとコルトレツィス大公は馬車に乗り込んだ。
大公の馬車が動き出すと、赤髪の少女がもう一台の馬車の扉を開け「どうぞ」とヴェルナーに声をかける。
まだ周囲は薄暗く馬車の中はなおさらで、中にいる者の姿は見えない。
ヴェルナーは一瞬ためらい、意を決したように馬車に乗り込んだ。
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