2024/11/3くるっぷにUP。
「口づけをしないと出られない部屋!?」
薄く光る壁にはそんな一文が浮かび上がっていた。
「ほほう、この現象はなんらかの魔導具によって起こり、口づけでそれが解除されるということか?」
「…おそらくは…」
何がどうしてこうなったのか。
直前まで俺は殿下の執務室の机に地図を広げ、とある報告をしているところだった。
報告があらかた終わり、地図を片付けようとしていると足元に何か小さいものが転がる気配がした。
目を向けると小さなサイコロほどの立方体が転がり、動きを止めたかと思うと、ブワッと膨張した。
「殿下!さがっ…」
立方体と殿下の間に割り込んだ瞬間、膨張に飲み込まれ辺りは眩しい光に包まれた。
そして今、一辺2mほどの薄く光る壁に囲まれている。
そこにこの一文だ。
出口らしきものも継ぎ目の一つも見当たらない。
ここ、酸欠にならないか?
いやこの部屋の目的が、意味はわからないが中にいる者にキスをさせることならそうそう危険はない気がするが、何があるかはわからない。
早く出るに越したことはない。
いや、セッ…の類でなくて、よかった。いやよくないが!
ここにいるのは殿下と俺だけなのだ。
「範囲指定の魔道具か?メーリングたちの前にはこの光る箱が現れているのかな」
殿下はそう言いながら光る壁を軽くノックしていた。
「殿下!ここで何が起こるかわかりません。周りも騒ぎになっているでしょう。一刻も早くこの魔術具を解除せねばなりません。つきましては大変恐縮なのですが…」
いや、背に腹は変えられんからな?殿下もその辺は割り切られるだろう。
「そうだな、ヴェルナー卿。手を」
「はっ!……は?」
差し伸べられた手の上に、反射的に手を置いてしまった。
殿下は俺の右手の甲に、そっと口付けを落とした。
軽く身を屈めた殿下の、普段見えない旋毛が見えた。
「なんの反応もないな」
天井を見やりながら殿下がつぶやいた。
「あの、殿下。おそらくですが…」
「続けてみよう」
今度は手首に柔らかな唇が触れる。
「これもだめか」
「殿下、口でないと…」
殿下の手が、俺の顎に添えられた。
そうそう、そこそこ。いや違う、いやいや違くはないが!
覚悟を決めてぎゅっと目をつぶる。
恐ろしいほど整ったご尊顔が近づいてくるのを直視するのは無理。
あーもう、早くこの状況から解放してくれ!
そう思ったとき、ぎゅっと閉じた瞼の上にちゅっと軽い音を立てて暖かいものが触れた。
だから!そこじゃないんですが?!
「あの」
額。
「殿下、ちが…っ」
頬。
「ひゃっ!」
首筋。
「殿下!」
後ずさるとすぐに壁に背がぶつかる。
逃げられない俺の耳うらに殿下の美しい鼻筋が埋まり口づけられた。
背筋をぞわわっと何かが走る感触がして腰が抜けそうになるのを、殿下が抱きとめた。
「殿下!口…口に!口づけ!してください!」
思わず口走った俺の顔を見下ろし、腰に回した腕に力を込めた殿下は実にいい笑顔を浮かべた。
「卿からそこまで強く望まれては、拒めぬな」
「な…むぐっ」
ようやく望んだ場所に、いや望んでないが、口づけがされたが…。
「んん?んーーっ!」
こんな情熱的で深い口づけでなくてもいいのでは!?
不敬だろうが抵抗の意を込めて身じろぎをしようとするも、がっつり抱き込まれててままならない。
悔しいが殿下の堂々たる体躯に抱えられると、自分はすっぽり収まってしまうサイズなのだ…。
「むぐーー!!」
一層強く呻くと、殿下はようやく口づけを止めたが、鼻先が触れ合うくらいに近い距離から見つめられた。
美しい瞳。どこかで見たことがあるような気がする。そうだ、炭酸カルシウムの多い水質の湖はこんな青く濃く薄く澄んだ色になる…。
ふっ、と殿下が笑った。
どくんと心臓が跳ね、突然恥ずかしくなってきた。血が頭に上ってきたのを感じる。
「あ…失礼を…むぐっ」
なぜか再び唇をふさがれてしまった。そのままぐぐっとさらに強く抱き込まれたとき、どこからかカチリ、という音がした。
その瞬間、強く後ろから引っ張られ、そのまま倒れ込みそうになるところを抱きとめられた。
「大丈夫ですか?」
ファスビンダー卿に両脇の下から支えられ、ひょいと立たされた。
「あ…ありがとうございます」
目の前ではメーリング卿に首根っこをつかまれた殿下が床に膝をついていた。
「で、殿下!?」
「大丈夫だ、問題ない」
メーリング卿が殿下を抑えつけたままきらきらとした笑顔を向けて言った。
「うむ。問題なく解除されたな」
メーリング卿を押しのけるように殿下が立ち上がった。
どうやら、護衛騎士二人によって殿下が力づくで引きはがされたらしい。
ということはこのお二人にはバッチリ見られていたということで…。
ますます血が上るのを感じながら…ん?二人?
王太子殿下の執務室で正体不明の魔道具が発動し、王太子殿下が閉じ込められたというのに執務室には殿下と俺と護衛騎士の二人がいるのみで、何の騒ぎにもなっていない。
「…殿下?」
「初夜を迎えないと部屋から出られない魔道具というのがあってな」
「は?」
「昔、王や王太子が妃を迎えたときに、間違いなく初夜が迎えられたかどうかを確認する儀式というものがあったそうだ。初夜の様子を臣下が見守ったり、証を披露したりしたとか。」
「は、はあ…」
それ、前世の中世でもあったような…。
「それはあんまりだということで、開発されたのが初夜をすませないと部屋…というか寝台から出られない魔道具だそうだ。正確には出ようと思えば出る手段はあるが、事が滞りなく行われたのか行われなかったのかはわかるようになっているらしい」
どう判断されてるんだそれ…。
「その魔道具を改造したのがこれだ」
広げられた地図の上に、ことりと先ほど足元に転がったものと同じものと思しき立方体が置かれた。
「何のために改造されたのでしょうか?」
そして何のためにここで発動されたんでしょうかねえ!
「これは中から条件を達成して解除されるか、対となっている鍵のようなものがないと半日は解除がされぬ」
「時間制限はあるが絶対的なシェル…防御壁になるということですか!?」
「よほど強力な力が加われば破られる恐れはあるようだが、十分な時間稼ぎにはなるだろう」
なるほど、王族や重要人物の守りにはかなり役立つだろう。
「ある程度の安全性が確認されたので、実際に試してみたのだ」
「どんなに蹴りつけても切りかかっても全く変化がありませんでした」
メーリング卿、そんなことしてたのか。
「内部にも何も影響ありませんでした。これは…素晴らしい魔術具ですね」
殿下の許可を得て摘まみ上げ上から下から眺めたが、ただの目を掘り忘れたサイコロのように見える。どうやって発動したのだろう。
「素材の関係で量産はできぬし、作り方が知られれば厄介なものになる。この魔道具のことを知るのはごく少数だ」
敵に使われれば厄介なのは確かだろう。
「口外せぬことを誓います」
「しかし思わぬ見解をもたらす卿には実際に見てもらいたかったのでな。なにか改良点など気づくことがあったら意見を出して欲しい」
「承知いたしました」
「突然巻き込んですまなかったな」
「とんでございません。貴重な魔道具を見せていただきありがとうございます」
範囲指定での発動となると、例えば暗殺者など突然身近に敵が現れたときなどの発動はなかなかタイミングが難しそうだ。
暗殺者と二人で閉じ込められたら最悪なことになる。あらかじめ登録した人物以外は弾くとかできるだろうか?それくらいは開発者たちが考えているだろうか。外の様子がわからないのは解除していいのか判断がつかないな。中から解除するキーを無くせば檻としても…いやこれは悪用が怖すぎる。執務机と椅子の位置がずれている。防御壁内に収まらないものは弾かれるようになっているのか?
「ふ、思わぬことで疲れたであろう。今日はもう下がってよい」
「は、失礼いたします」
笑顔の殿下に見送られ、地図や書類を抱えて退室した。
かなり強力な防御の魔道具だな。セ…しないと出られない部屋魔道具がそんなものになるとは。
というかそもそも本来は防御の魔道具でそれを改造されたのが……ん?
何か引っかかるものがあって思わず足を止めた。
いや、なんで試作品の解除キーがキスなんだよ??
おかしいだろ!
顔を真っ赤にしながら自分の執務室に戻った俺は、「熱がありますよ!」というフレンセンにより早退させられたのであった。
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